祖師谷公園区画整備事業

(記事作成:2007年03月08日)
今回はmaipenrai さんが調べてくれた祖師谷公園についての情報です。
これは被害者宅が立ち退いた後の土地がどうなるのか?と言う疑問に対しての答えになると思います。
以下がmaipenraiさんのレポートです。
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犯人捜しというよりもこの地区(背景)の立退きを考えて、少し長々となりそうなので
こちらに書かせて頂きたいと思います。

>そもそもこの地域って立ち退いてその後どうなるの???
私も?航空写真を見て変だと感じた。祖師谷公園HPです↓
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/outline008.html(リンクは切れています)
この公園は、昭和18年8月に「祖師ケ谷緑地」として計画されましたが、その後「祖師ケ谷公園」として都市計画決定された計画面積53.33haの公園です。
 計画区域内にあった旧教育大学農場跡地を中心に、当面10haの公園として事業化をはかり昭和50年6月1日に開園しました。その後周辺民有地の買収を進めながら、整備の終った部分から順次追加開園しています。

主要事業の進行状況報告書(平成14年度前期)
番号 72 主要事業名  公園などの公共空間の緑化(公園整備)
http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/JOHO/JOHO/SHOUSAI/E9CAV700.HTM(リンク切れてます)
緑地化事業ということです。こちらはH14年度ですが、18年度まであります。

東京構想2000  概要
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/plan/pj-04.htm(リンク切れています)
とても素晴らしい構想だと思います。
仙川の水害被害もあったようですが、護岸工事という計画ではなく都会に緑が少ないから
増やそうという計画のようですね。諸外国の都市に比べて緑が少ないそうです。
しかし、航空写真でもわかるように、緑あり…スポーツ施設あり…防災対策なし…
どういう目的なのかわかりませんね。スポーツ施設?…オリンピック想定?
地元の立退き反対運動は、確かにあったと思われます。2・3ありました。この辺はもっと詳しく調べたいと思います。
何故なら、もし強引な立退きがあったのならば当然トラブルがあったと思うからです。

都市計画プロジェクト(東京都都市整備局)
都市計画面積 :約53.3ha の全容ですが、…グリーンの枠を御覧下さい。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/cpproject/traffic/33/toshishisetsu33.htm切れてます)

ニューヨークのセントラルパークなみ? これを見て世田谷区の住民は怒りがこみ上げてきませんか?
今後、用地買収でどれだけのお金がかかるのか…(これは都政?国からの補助金もでますよね)
被害者一家がこの地に移り住んだ1990年はバブル絶頂期です。
このような計画があるとわかって住んだのか?知らなかったのか…
土地取得に関して問題があるのではないかと思います。

——————
ここまでです。
この件は関連の情報が出てきたら随時追記していきます。

コメント

  1. ASKA より:

    ***旧ASKAの事件簿にいただいたコメントです***

    ASKAさん、この項目を作ってくださり、ありがとうございます。
    53.3hの計画目的がはっきりわかりましたので、記載させて頂きます。

    国土交通省 都市 地域整備局 公園緑地課
    ttp://www.mlit.go.jp/crd/city/park/gyomu/shisaku/kobetsu/index.html
    こちらを見ると、将来広域防災拠点の大型公園計画のようです。
    同区に在住ではない私が言うのもなんですが、世田谷区民は納得しているのでしょうか?

    東京都議会 会議録
    ttp://www2.gikai.metro.tokyo.jp/
    検索 「祖師谷公園」とすると 36の文書がヒットします。集約しますと、↓
    昭和三十二年当時は、祖師谷一帯は田畑であり、住民も少なかったわけですが、東京オリンピック以降宅地化が進み、四十有余年を経過し、現在この計画区域内には千五百棟ほどの民家が建ち並ぶ状況になっています。計画の具体化には多数の立ち退き問題が伴い、さまざまな憶測、不安が住民に広がっておるということでした。

    立退きは、個々に水面下で行われると思います。こちらは商業地区とは違い住民運動が弱い可能性もあり、当時(時間の経過もあり)の状況を知ることは難しいかもしれません。
    次回は、立退き(このケースとは違いますが)を体験した知人の話を織り交ぜながら、
    当時の状況がどのようなものだったのかを考えてみたいと思います。

    投稿: maipenrai | 2007/03/09 21:01

    犯罪が多いところは、ビジネスチャンスがあるから犯罪が多いんです。
    (ある公演で都市計画の著名な先生の言葉)

    1987年 4月   上祖師谷4丁目の地区計画(世田谷区で初めての地区計画決定)
    1990年 5 月   被害者家族は上祖師谷3丁目に移住。
    1990年10月   日本のバブル崩壊が始動した。
    1991年       祖師谷公園開設(上祖師谷4丁目)
    1993年10月   バブル崩壊後の日本経済は、底を打ったと見られる
    1994年12月暮  東京都は上祖師谷(4・3丁目?)の住民に対し、一枚の看板をたて、買収のため
    の説明会を行った。    

    世田谷区議会・東京都議会の会議録を拝見すると、やはり住民は反対していたことがわかります。
    1995年以降2000年までに196軒が立退き。年に換算すると1年に32~33軒退去したことになります。90年初頭からバブル崩壊が始まり、様々な企業が倒産・リストラetc…是がひでも仕事を受注したいと考え、ある組織は金の集金率も低下することでしょう。都のHPを見ると、スピード化を図るため民間に委ねると記載されております。都の職員が一軒づつ立退きを交渉していたのなら6年間に196軒の立退きはできなかったことでしょう。

    さて、196軒の立退きと共にどのようにして物騒な地域になっていったのかを推測します。仮に交渉会社をA社にし、A社に歩合制なるものが発生します。バブル崩壊以降不動産業も落ち込みましたが(企業は不良債権処理を強いられ)、立退き業なるものも大変儲かる業としてありました。A社は、個人宅に赴き、手紙やら色々…A社は毎日ずっと張っています。家人が帰宅するなりどうですかなどと言うわけです。悪い業者であれば、いやがらせなどもすることでしょう。それを毎日のようにやって来る。初めは、住民の団結があったとしても個々にそのような交渉をされ、段々と折れていく家もあると思います。隣人が交渉に応じ家屋を取り壊される状態が続くと権利があっても精神的に追いやられてしまうのです。想像するととても怖いですが、想定年間33軒が立退きをした。空き家になったり更地になったりと、ゴーストタウンになるわけです。昼間は人気がなくなり、夜になると真っ暗、空き巣・強盗などあいやすくなる。2000年暮まで続いたのだと考えます。一夜漬けの施設を造りながらだとは思いますが…。被害者家族、残された4軒も精神的に辛かっただろうと考えます。

    そして、事件は起こってしまった。
    時期といい、空間といい、何か計画性があるのかと…犯人はこの時期を狙ったのか?

    最後に最近ひとつのHPをみつけました。2006年12月20日
    「ただ4人が宝でした」
    ttp://www.joqr.net/blog/news/archives/cat121/index.html
    仮説にならなくてすみません。長くなりまして申し訳ありません。

    投稿: maipenrai | 2007/03/13 01:10

    maiさん、なかなかの力作、お疲れ様です。
    立ち退きの様子が参考になりました。
    途中で都は民間に委託したんですね。
    新潮45の記事だと2000年3月には売却料と保障費の一部が支払われていたようです。

    投稿: ASKA | 2007/03/13 07:13

    maiさん参考になります。力作ですよ。

    当初、立ち退き問題は決着済みということだったように記憶しています。
    それがゆえ、新聞雑誌等もこの点をあまりついていなかったのかな。
    ASKAさんも注目しているとおり「民間に委託」ってところがあやしいね。

    被害者宅は「最後の4軒」しかも、うち1軒は親族だし…
    ほとんど「最後の一人」だね。

    民間業者と被害者が交渉で衝突した可能性は高いと思う…う~ん。

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/13 13:35

    公共用地取得をただの民間業者が委託されて行うことはないですよ。
    委託を受けてやるとすれば、公社や機構などでしょう。
    補償コンサルタントは七つほどの登録業務を行いますが、
    そのうち六つまでは調査と算定だけ。殆どのコンサルはこの仕事です。
    最後の七番目が補償の説明や連絡調整。
    この仕事をしているコンサルは、全国で三百数十社。
    業務委託契約に従って、粛々とやるだけですよ。

    この事件で出てくる民間業者というのは、都にはなんの関係もなし。
    親切な斡旋人のふりして、用地や換地先の土地に介入暗躍する連中のことでしょう。
    被害者は彼らの介入には応じなかったということだと思います。

    それから、この公園用地取得に反対して請願や訴訟が繰り返され、
    大反対が続いてきたというような背景はありません。
    ここは公園になりますよ、と知りながら住み始めた人も沢山います。
    事業が進まないなら、もうやめたら・・という声はあるでしょう。
    小さな公園しかもてないのは政治のせいではない。明快ですから。

    投稿: ナガイ | 2007/03/13 15:30

    ニャンコさんの後押しで、ポンと背中押された感じでがんばっちゃいました。
    ありがとうございます!
    ナガイさんのおっしゃるとおり、確かに表むきにはそうですが…裏では色々画策がありそうですよ。
    私が最も言いたかった事は、物騒な空間になってしまったということです。
    区画整備事業に関してはもっと面白いデーターがあるのですが、ここでは事件を追うとテーマなので…。

    >ここは公園になりますよ、と知りながら住み始めた人も沢山います。
    このことは事実ですか?
    事実であれば、契約書にも記載されているはずです。
    不思議ですね。被害者が移住した1990年。1994年から立退きの話がある。
    そう考えると被害者は立退きを知っていて移住したことになりますね。

    投稿: | 2007/03/13 23:03

    ↑名前書くの忘れました。
    スミマセン!

    投稿: maipenrai | 2007/03/13 23:07

    区画整備と公園整備とは違います。
    裏がどうとかは、きりがないことです。それなら、
    この事件は宗教儀式で行われたものだ・・でもいいかもしれません。

    この地区が特に物騒な空間になったという事実はありません。
    警視庁の犯罪統計で明らか。

    この公園の用地取得対象は緑枠でしたね。そこの人口は減るどころか。
    不可思議なことに、生産緑地まである。

    投稿: ナガイ | 2007/03/13 23:31

    ナガイさん
    まあまあ、要は「この線が伸びるかどうか」ということですよ。
    やっておいてなにか損がある?

    >生産緑地まである。
    古い地主がいくらでも残ってますからね、この地域。ちょっと前までみんな農民。

    こういう地域の特徴として、住人は「戦前からの住人+戦後移転者」と「バブル期の移転者」の2派にわかれているでしょうね。

    「戦前からの住人+戦後移転者」=戦前からの居住者はほとんどが農業で現在は地主。時価の変化はあるが、現在の住宅や、稼動してる不動産物件が更新できるため公園整備計画には基本的に賛成。戦後~高度成長期に移転した世帯は住居が老朽化しているため、概ね賛成。

    「バブル期の移転者」=購入に多額を要している、また、居住地区を「ブランド」と見ているため、移転には消極的。

    もちろん「賛成」と言っても補償交渉への期待を含んだ賛成だけどね。さらに地主たちの政治力なんかも関係してくる。一方被害者世帯のような新参の居住者は発言権が限られてくるな…

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/14 00:20

    私もちょっと調べてみたんですが…

    「祖師谷公園」でグルると「祖師谷公園 代替地」の組み合わせってgoogleの下のほうの「関連検索」に出るのね!

    でもって「祖師谷公園 代替地」で検索してて見つけたんだど新潮45情報では奥さんのお父さんは不動産関係だったらしい。この地域への移転、移転後の改築、塾を開いたことなど、かなりこの不動産の価値を考えて(将来の運用をよくわかっていて)動いたのかな?って気がする。

    1990年に移転してくるんだけど、1991年には周囲がぞろぞろ移転しはじめる。当然公園整備計画は知っていたんだろうけど…ちょっと不思議な感じ…

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/14 00:38

    当然ながら…
    被害者自身も「土地」「公園整備」に無知無関心ではない、というよりそういう仕事してるわけです。

    事件につながらないかもしれないけど、この時期のこのご家族の周囲の状況として「公園整備計画」は重要な意味はあったんだと思う。

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/14 00:50

    ニャンコ
    生産緑地は単なる農地ってことではないよ。

    風が出て来た?・・かな。
    ASAKさん、折れる刃物云々以来、久しぶりでした。
    遂々、長居し過ぎてしまった。重々申し訳なし。
    淡々と末長い存続を祈ります。

    投稿: ナガイ | 2007/03/14 00:57

    あ、最後に間違えた。
    ASKAさん、でした。
    ちょっと、わざったしいか・・

    投稿: ナガイ | 2007/03/14 01:00

    ナガイさん、立ち退きの事も詳しいとはさすがですね。
    確かに、2000年3月の時点で交渉は成立しているのだけど・・・
    しかし、最後まで残っていたのは交渉が難航したと言う事なのかな?

    だけど、宮澤さんは奥さんが塾を経営していたので、生徒の事を考えて移転は先送りしていたのかもしれませんね。

    新潮45によれば2001年3月には移転予定だったようです。
    ただし、新潮45の記事だと移転先の売買契約がされていないとか、建築確認申請や所有権移転もされていない。

    移転先でのトラブルと言うのも有るかもしれませんね。

    投稿: ASKA | 2007/03/14 01:10

    う~ん…調べながら書いてて、またまた「書きすぎ」になってごめんなさいね。
    maiさんの見つけた都議会の会議録みると、「反対運動」的なものは確かにあったみたいだ。地元の住人から計画見直しの請願書が出ている。そのうえ都議会議員の世田谷選出8名全員がこれを支持したらしい。

    ↓これの「127」番からの流れ
    ttp://www2.gikai.metro.tokyo.jp/dsweb.exe/documentframe!1!guest07!!1380!1!1!1,-1,1!7428!337276!1,-1,1!7428!337276!13,12,11!3!4!266729!!3?Template=DocOneFrame

    発言者が共産党の方というのは置いても、事実として反対者があるみたいだね。
    上に書いた「古い住人」にも困惑が広がっていたようだ。計画自体はかなり古いもので、このあたりは農地だったころに立てられたものらしい。それが急に進捗しはじめてみんな慌てたんだろうね。

    ナガイさん

    あれ?どっかいっちゃうの?

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/14 01:13

    「生産緑地」
    ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%94%A3%E7%B7%91%E5%9C%B0%E5%9C%B0%E5%8C%BA

    実は東京都23区内の場合、ずばり「農地」なんだよね。
    もと農家の地主が土地を寝かしておくための課税対策として農地にするわけ…

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/14 01:20

    ニャンコさん、こんにちは!
    都議会会議録
    (1993.11.30)
    127~135の攻防を見るとやはり住民は反対していた。六千人に及ぶ方々の署名による請願書が提出されたのに…
    補足(公園の歴史)
    S15年、大都市の外周部に緩衝緑地を設置する計画が策定され、S18年、戦時には防空避難地と高射砲陣地をも兼ねる目的もあって多くの大規模な緑地整備が図られたが、大部分は未完成のまま終戦を迎えた。戦争により都市公園も大きな被害を受け、さらに戦後の食料難・住宅難のため公園が畑や住宅に転用された。一方で戦災復興のなかで区画整理によって多くの小公園が生み出されたが施設内容は貧弱で単なる空き地と大差なかった。S31年に都市公園法が制定されたが、産業復興優先の時流の中で、国のインフラ整備における優先順位は低く、第1次都市公園等整備5カ年計画がスタートしたのは遥かに遅れてS47年からである。S48年には都市緑地保全法、「生産緑地法が制定れ」、公園と地域指定による緑地保全制度を組み合わせて都市の緑化を推進する施策体系ができた。

    都市経営フォーラム(2001年7月13日)
    ttp://www1k.mesh.ne.jp/toshikei/163.htm
    「都市計画公園の中で家は建てられない」.という言葉が気になって…。これを読んでみて、被害者主人は区画整備事業・防災公園計画を知っていたのではないか。被害者の経歴であれば、このプロジェクトは魅力ある仕事です。

    そこで、仮定として…知っていてこの地区に移り住み、立退きは反対しない。その道のプロですから、立退き交渉も旨くできたとする。しかし、地域住民etc…から反感を食らうというケースもあるかも。つまり、このプロジェクトは魅力があり、反対するどころか賛成するかもしれないと思ったのです。また長くなりスミマセン。

    投稿: maipenrai | 2007/03/14 17:08

    賛成派、反対派と言う見方をすれば、意見が対立しているわけですから、そこに感情的な衝突があっても不思議ではないですね。
    ただ、こと金額的な面からみれば、賛成するより反対した方が有利な交渉になりそうな気がしますね。

    今の段階では事件に関係があるかどうかわかりませんが、いろいろ疑問は浮かんできますよね。

    どんな理由であの土地建物を購入したのか?とか、逆に土地を売った人物はなぜ宮澤さんに土地建物を売ったのか?とかね。

    投稿: ASKA | 2007/03/14 23:21

    以下、真偽はともかく「新潮45」の記事を転載しておきます。

    「新潮45」の要約

    事件の動機として自宅の立ち退きをめぐるトラブル説がある。
    都立祖師谷公園の拡張整備計画が91年から本格化したため、周囲にあった約20軒の住宅は次々と移転した。
    都東部公園緑地事務所によれば、宮澤さんとは2000年3月時点で立ち退き交渉がまとまり、都は既に土地売却料と物件移転補償費の一部を支払っており、登記簿上も同月付で所有権を移転、2001年3月には、宮澤さん一家は都が用意した代替地に転居する予定だった。
    ところが、宮澤さん一家が転居する予定地は事件発生時点で、都との売買契約が成立しておらず、所有権移転も建築確認申請も行われていないとのこと。

    移転先の土地は「にいなの小学校のすぐそばなの」と楽しみにしていた。

    宮澤さん宅の土地売買をめぐっては、暴力団系の地上げ業者などが間に立って利益を上げようと接近してきたが、宮澤さんは拒否し、都と直接売買したため、逆恨みされたとの噂も流れていた。

    他に、泰子さんの父親がかつて品川区旗の台で不動産ブローカーを経営していた。そこから、宮澤さんに暴力団筋から土地売買の話が持ち込まれたが、それを拒否して都に売却したため、逆恨みされたのではないかとの情報も寄せられたとのこと。

    捜査本部は捜査四課の応援を得て調べたが、泰子さんの父親は83年9月に亡くなり、その後、賃貸物件などは別の管理会社に任せていることが判明、都との売買契約を終えた後に一家を襲っても、契約が白紙に戻る可能性がないことなどから、無関係と断定した。

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/15 01:16

    上記の『「にいなの小学校のすぐそばなの」と楽しみにしていた土地』
    は「千歳小」近くの世田谷区成城9丁目?

    >にいなちゃんが通っていた世田谷区立千歳小学校には、ニュースで事件を知った教職員15人が駆け付けた。和田浄美校長は「宮沢さんの名前をニュースで聞いて驚いた。今でも間違いであってほしいと思っている」と声を震わせた。
    >礼君が通う同区立上祖師谷南保育園の横田良子園長(50)は「28日の終業日はお父さんが来られ『この1年お世話になりました』とあいさつして帰られました」と肩を落とした。担任の保母(27)は「元気で明るい子でした。現実とは思えない」と絶句した。
    >宮沢さん宅周辺は、都立祖師谷公園の拡張計画地域になっており、ここ数年転居する住宅が多く、夜間の人通 りは少なかった。 [毎日新聞12月31日] ( 2000-12-31-19:52 )

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/15 01:37

    そうなんです。
    新潮45のこの文章を何度も読みました。

    >どんな理由であの土地建物を購入したのか?とか、逆に土地を売った人物はなぜ宮澤さんに土地建物を売ったのか
    >元所有者は結局、土地を手放すことになり、債権整理を経て、宮澤さん一家は別の建設業者から高値で購入したという
    この部分解らなくて…
    また明日考えます。

    投稿: maipenrai | 2007/03/15 01:42

    昨日お話したのは、我ながら矛盾を証しながらではありますが、あえて逆説的に(賛成・反対の件)考えるとどうなるのか…それもやはり無理があったようです。祖師谷の土地を購入したのは奥様の意向が強かった?問題のある物件は、不動産に詳しい人しか買えないのでは…。建設業者から高値で購入した。この辺、気になります。建設業者は価値のあるこの物件を被害者に売ったのは何故なんだろう。被害者が区画整備事業を知っていて、高値で購入してまでもメリットがあるのか?購入後、増改築していますが、結果として事業兼住宅として資産価値が高くなります。

    「千歳小」近くの世田谷区成城9丁目の場所ですが、被害者奥様の塾を考えてのことだと思いますが…公園の近くが好き、緑が多く環境が良いから。以前、資料として上記した都市計画プロジェクトのグリーン枠を見ると、上祖師谷4丁目の下も計画に入っています。千歳小の北東。まさかとは思いますが、移転先に問題があるとすれば、またそのような土地?この点、詳しく場所が知りたいものです。

    投稿: maipenrai | 2007/03/15 21:01

    >上記の『「にいなの小学校のすぐそばなの」と楽しみにしていた土地』は「千歳小」近くの世田谷区成城9丁目?

    この情報は何処からですか?
    Googleの航空写真を見る。6年の時が過ぎているので何ともいえんが…
    事件現場隣は更地になっているため、この写真は事件後のもの。
    千歳小近くの世田谷区成城9丁目を見ると、見合う更地がある。小学校
    近く北東の角地。ここはグリーン枠にぎりぎり入る土地。
    公園拡張計画に入る土地であれば、家は建てられない。

    投稿: maipenrai | 2007/03/18 18:29

    その泰子さんの発言からの推測に過ぎません、失礼しました。
    9丁目にある「千歳小」の近く、という意味です。

    実際のところどこであったのか不明。

    投稿: 迷探偵ニャンコ | 2007/03/19 23:35

    ニャンコさん、こんばんは
    「千歳小」近くということは成城9丁目だから、誤らなくてもいいですよ。
    その何処かはわからないということです。
    ここを拘っていても、その先何なのかわからないし…

    立退きは2家族で考えていたのであれば、泰子さんのお姉さまとお母様が
    この点わかっていたのかと思います。捜査当局やマスコミも追わなかったのでしょう。

    投稿: maipenrai | 2007/03/20 21:52

    ***ここまで***

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